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「南相馬避難・20ミリシーベルト基準撤回訴訟」 原告、それぞれの10年。

 2011年3月11日——。東日本大震災、続いて起きた東京電力第一原子力発電所の事故。
 この事故によって、私ですら人生を変えられた。
それまで、一度も〝福島〟に行ったことがなかった私でさえ、も。

なによりショックだったのは、国が、福島県の人々に年間被ばく〝20ミリシーベルト〟という通常の20倍以上もの被ばく量を適応したことだ。
そのなかには、子どもも、赤ちゃんも含まれていた。

 国は、東電は守るけれど、国民は守らない。
 そう改めて実感したのだった。
 
国のこうした〝暴力〟とも呼べる不作為は、いまもずっと続いている。

 こうした国の暴力に対し、福島の人々が声をあげた。
それが、2015年4月17日に提訴した「南相馬・避難 20 ミリシーベルト基準撤回訴訟」だ。
〝特定避難勧奨地点〟に指定されていた福島県・南相馬市の世帯や、近隣住民808人が、20ミリシーベルトは違法だとして、撤回を求めて国を訴えたのだ。
 「いま、この基準を撤回させなければ、今度、原発事故が起きたときに、同じ基準が適用されてしまう。同じ思いをほかの人に味わわせてはいけない」
 原告のみなさんは、そんな思いでこの5年間、闘ってこられた。

2020年8月27日。この裁判が結審を迎える。
 裁判の期日の度に、往復6時間もかけて南相馬からバスで通ってこられる原告の方々。その苦労は大変なものだっただろう。

  私は、当初からこの裁判を注視してきた。私にとっても、衝撃的な〝20ミリ基準〟だったから——。
 この数年、幾度となく南相馬にもうかがって、20数名の原告にお話をうかがうこともできた。(貴重な貴重なお話を聞かせていただき、本当に感謝しています)
 少しづつではあるが、ここにその証言をまとめていこうと思う。


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